ARS書店/紋別市立鴻之舞中学校・写真帳/1915年:鴻之舞金鉱発見~1973年に鉱山閉鎖され、最盛期に13,000人は、消滅し人口はO人となった 卸売

  • 商品説明・詳細

  • 送料・お届け

商品情報


*** 商品詳細 ***
     【第八回卒業記念】  ~紋別市立鴻之舞中学校~
☆・1956年・16枚・非売品・   サイズ:26.5x18.5cm   状態:汚れ傷み大有りB級品   鋏紙有り・、解説文有り・傷み有り   発行:紋別市立鴻之舞中学校??
☆・鴻之舞(こうのまい)は、北海道紋別市南部の地名。鴻之舞鉱山閉山(1973年)後に  住民が離れ、国勢調査では1975年以降、人口0人が続いている。☆地理:鴻之舞は、北海道紋別市にある地名であり、かつて存在した町である。 鴻之舞鉱山の町として栄えたが、鉱山閉鎖とともに無住の地となった。紋別市街の元紋別から 北海道道305号紋別丸瀬布線を約30キロメートル南下した一帯。 語源はアイヌ語の「ク・オマ・イ」(弓がある所)である。☆・歴史 北海道のオホーツク海側は、1800年代末に、枝幸のパンケナイ川で砂金が発見され、 ウソタンナイ(ウソタン川)などでも砂金が発見されて以降、ゴールドラッシュの様相を呈した。 紋別の八十士川でも砂金が発見され、1915年、鴻之舞に金鉱が発見される。ここに地元有志が鉱区を設定し操業が開始され、 1917年に住友に経営権が移った。その後も鉱床が発見され、金鉱山は発展し続けた。 藻鼈川沿いには鉱山労働者の居住する町が形成された。  鴻之舞鉱山は、1940年には年間で金2.5トン、銀46トンを産出。1942年には、鴻之舞の人口は、従業員・家族等を含めて 約13,000人までになる。太平洋戦争の影響で一時期規模は縮小するが、 1955年には金年間2.98トンの最高産出量を記録するなど賑わった 人口が増えたことで、紋別市街との間の旅客輸送のために、1949年には北紋バスが設立され、 鴻之舞・紋別間にバス路線が開通する。  しかし、金価格の下落の影響を受け、資源も涸渇したことから、1973年に鉱山は閉鎖された。 その結果、最盛期に13,000人に上った鴻之舞の町は消滅、人口は0人となった。

☆・詳細は画像にてご確認下さい。  ・中古品の状態評価には個人差がございますので  ・ご理解の上ご入札下さい。  ・ご不明な点はご入札前にお問い合わせ下さい。

*** 注意事項 ***
・返品特約:発送のミスや説明と甚だしく状態が違う場合の返品はお受けします (現品の返送が発生した場合は送料当方負担します)・委託品等の理由で早期終了する場合がありますのでご入札は早めにお願い致します・金土日祝はメールが週明けになる場合があります・基本的にはノークレーム、ノーリターンとなっております・必ず自己紹介欄を御覧頂き納得された方のご入札お待ちしております。

◎・篠路:S50821.2023.1.22

残り 4 45,000円

(217 ポイント還元!)

翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く

お届け日: 11月26日〜指定可 (明日19:00のご注文まで)

  • ラッピング
    ラッピング
希望しない
希望する ( +600円 )
希望しない
数量
同時に5点までのご購入が可能です。
お気に入りに保存

対応決済方法

クレジットカード
クレジットカード決済
コンビニ前払い決済
コンビニ決済
代金引換
商品到着と引き換えにお支払いいただけます。 (送料を含む合計金額が¥295,065 まで対応可能)
ペイジー前払い決済(ATM/ネットバンキング)
以下の金融機関のATM/ネットバンクからお支払い頂けます
みずほ銀行 、 三菱UFJ銀行 、 三井住友銀行
りそな銀行 、ゆうちょ銀行、各地方銀行
Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)

大量注文に関して

30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください

お問い合わせはこちらから